2022-11-23 制作日

ついにAPIの作品が完成。多少妥協したものの、現時点ではベストな出来だと思う。

技術面はともかく、見せ方工夫は思いのほか上手くいった。決して誤魔化しではない。見える為の技術に秀でているだけ。

2022-11-20 制作

朝早めにアトリエに到着して制作の続きに入る。100均で買い足した材料を使って最終調整するが、材料費をケチったことが裏目に出てアクリル板の長さが足りないことに気づく。コンセプトの説明に終始するよう腹を固める。評価はほぼ想定通りの結果となった。他の作品の展示の工夫や見せ方など参考になるものもあり、気づきの多い午後を過ごす。

夕方、上北沢にある旧知の知人宅を向かいゆったりとした時間を過ごす。取り巻く環境や風体はそれぞれ変化したものの、会話の端々から滲み出る言霊はほとんど変わらないものだ。ある程度の年齢になったら人はそのまま歳を重ねる。

2022-11-19 制作日

朝から吉祥寺に向かいオモチャ制作に取り掛かる。水がお題ということで「カモリウム」、鴨が水に潜った時に見える視界を再現するようなプラネタリウムを考案。

実際試作してみると、想定以上に難易度が高いことが分かる。天井にプロジェクターで水面を表現するインスタレーションなのだが、プロジェクターの画角による光の拡散具合が単焦点だと思った以上に狭い。あとポイントとして、間に挟むアクリル版のフィルターとプロジェクターレンズとの距離、透過させる素材の選び方、水による光のデフューズなど、作品成否に関わる課題が次々と発覚しパニックになる。精密な設計がないと先に進めなさそうだが、〆切までには時間も足りない。

素材選択が難しい。一般に売られている青いセロファンは意外と色が濃くて、光の拡散具合が減衰してしまう。色がなくても水の波紋や光の動きで十分水は感じられている。

色で言うと隣の方から色付きガラスをお借りして使ってみると中々調子良い光になったので合わせ技で使うことにする。鴨は紫外線を色覚できるので、僅かな色でも輝いて見えるに違いない。時々光の中に現れる暖色の光が陽の光を想起させる。プリズムも買っておけばよかったと後悔。

設置環境も課題だった。投射面に模様があったので、映像をそれに合わせる工夫も事前に知っておけばできたのかも。ただ大きく広がる面白さも捨て難いので、ここはひょっとしたらフィルターがわの表現を簡素化して水の形を整理してデザインすることで違った表現ができた部分かもしれない。

とにかく、時間いっぱい使い切って夕方にはヘトヘトになって帰途についた。

2022-11-13 メディアリサーチ

朝からメディア論のレクチャーに出席。メディアの捉え方、Knolling、アフォーダンス、発明ということについて。午後はフィールドワークで観察とコンセプトメイキング作業を行う。何も考えてなくてもジッと見続けること。ある種のセレンティビティがおこる瞬間がある。でもアイデアはいつも途切れそうなほど微細なもの。逃さない為には瞬間的に消えるので注意深く構えておく必要はある。

2022-11-8

渡邊恵太さんの「融けるデザイン」を読む。「優れたデザインとは何か?」という問いを考える場合、「デザインは誰のもの?」という疑問が湧くのは、人を軸に思考するパーソナリティを持つ故だろうか。デザインの古典的な定義に対して、情報とインテラクションを軸とした現代的な再定義を試みる興味深い一冊である。

本書はインターフェイスやインテラクションデザインといったデザインの新領域を論じる。まず、現象レイヤとして定義されている領域が個人的にはとても新鮮。UI/UXデザインが世界のインターネット化が進むにつれ、より重要になっている背景を腹落ちさせてくれる。しかも、それは単に操作性や判読性(可用性のような概念も含むと思われるが)といった割と表層的な、本質的でないとそれこそ無知の無知による誤解をしていたわけだが、それを「透明性」、「身体拡張」、そして重要ワードである「自己帰属感」の事例紹介を通じて分かりやすく解き明かしてくれる。テクノロジーと人の関係性に関心のある人な、とても魅力的な議論だと思うはずだ。

人間は動き続けている。だからそれを阻害しないデザインであることが一つの基軸になる。動くから(センサーとしての身体は)環境を感知できる。何かのデザインを考える時、例え動的なダイナミクスを持つ場合でもイメージは大体の場合、スナップショットであることが多い。

ギブソンの生態心理学から引用した肌理の議論も面白い。例えば画材の使い方やデッサンでの鉛筆の重ね塗り、コンピュータグラフィックスでもパターンを重ねることで肌理が生まれるが、そこに人はリアリティや自己帰属感を知覚することで物を認識するということなのか。

2015年と比較的新しい本なのだが、昨今のデジタル化の進展が早すぎるせいか、既に一般化した内容も見受けられる。「デザインとはインターフェイスを考えること」。インターネットの向こうにいる「人」。デザインの対象にもよるし、インターフェイスというより「The Internet」に対する人の関わり方かもしれない。情報と物質の境界線が消えたら、人とメディアの関係性もまた違和感のある境界線に思えないだろうか。