2022-12-22 瀬戸内国際芸術祭

今年の夏と秋、瀬戸内国際芸術祭に足を運んだ。

2010年に始まった、3年に1度の現代美術展(トリエンナーレ)。「海の復権」をテーマとして掲げ、瀬戸内にある12の島々を舞台に、独自色の強い地域文化や美しい自然の景観に触発されたアーティストによる芸術作品、建築物、また演劇イベントが鑑賞できる。近年は世界各国から来島者が訪れる、魅力あるコンテンツへと変貌を遂げつつある。

離島巡りという非日常性を感じる舞台設定がまず良い。「瀬戸内」という切り口が地域性と一体感を想起させるし、「直島」の持つ芸術を育む島としてのブランドイメージも相まって、ある種の「正統性」を感じさせる。原研哉氏による「島のおじいちゃん、おばあちゃん」をテーマとした、巧みなヴィジュアルアイデンティティも直感的な理解への一役を担う。「普段着のお年寄りにサングラスをかけてもらうことで自然な表情を生み出すと共に、3年に一度の非日常の世界、「アートを装着する」ことをイメージ(KBSインタビュー)」という3枚の写真は、素朴な素材ながらも先鋭的な雰囲気を醸し出す。やや抑えたトーンの赤色、水色、黄色というシンボルカラーは穏やかな、それでいて風光明媚な瀬戸内のイメージと多く重なり、芸術祭のイメージをさりげなく盛り立てる。

参加するアーティストにとって、この地域の独自文化は創作意欲を駆り立てられ、魅力的に映るに違いない。「島」という閉鎖性の強い地理的特性からか、古来より人が生活を紡いだ歴史が数多く残されているのだ。例えば、大島の古郡弘氏の作品「産屋から、殯屋から」はわかりやすい一例だろう。この島には霊を祀る墓と、実際に死者を埋葬する場所が異なる両墓制の風習が残っており、そこに渦巻く「祈り」のエネルギーを作品として昇華させている。

細く急な坂道だらけの男木島に建てられた坂茂x大岩オスカールの「男木島パビリオン」も島の暮らしを感じる、一服の清涼感を感じささせる作品だ。窓ガラスに描かれた想像の世界を一時眺めていることで、この島での日々の大変な暮らしにおける一瞬の安らぎを共有できた気にさせられる。

多くのビエンナーレやトリエンナーレがそうであるように、瀬戸内国際芸術祭も歴史ある家屋の保存と再利用を通じた、寂れた街の活性化という課題解決への期待が大きい。経済活動が行われ、楽しい時間を共有することでリピーターや定住者を増やす。コミュニティを緩く形成することで関係人口の裾野を広げていく、いわばアートを媒介にした「人け」の再定義としてのコミュニティデザインである。

3年に1度という時限性もこうしたイベントの特徴である。また、回を増す毎に作品が蓄積されたり、再構築され所蔵が増えていく。3年に1度開館する美術館としての希少価値も芸術祭の盛り上がりの一翼を担う。

思えば、「祭」という日本語ならではの訳語は、人と人との関係性を結ぶ舞台装置としてこれ以上ないネーミングではないだろうか。芸術に携わる作家と島のボランティアとの交流による新しい関係性、交流により寂れる一方だった生活圏に活気がとり戻り、参加者の間に故郷的な感覚の萌芽が生まれる。一方通行の来場客にとっても離島の非日常感と意外に手軽に行ける観光地さが魅力的であり、祭りに参加する高揚感を感じることができる。

この海域一帯には古来より刻まれた正負の歴史が残っている、屋島近辺は源平合戦の檜舞台であったし、鬼ヶ島のモデルされる女木島、ハンセン病患者の強制隔離所として汚名を着せられた大島、また高度成長期には瀬戸内工業地帯の公害がもたらした負のイメージに甘んじてきた。

過疎化が進み、衰退の一方だった島々で人の交流が生まれ、活気が戻っている。これは「記憶」のデザインではないか、という考えに至った。アートの力を使って、本来持つ価値や魅力を現代に生きる人々の解釈により再定義すること。そのアイデアや人々の交流、空間の再配置を通して、良いイメージの記憶を残している。創作活動を中心にコミュニティが形成され、アート作品に溢れる頃、この芸術祭のがデザインした本質的な良さが目に見える形で現れているに違いない。