2022-12-23

「起こり得ないこと」とは、ある日突然目の前に現れることで初めて認識される。南国高知の平野部に雪が積もることは、そうそう起こり得ることじゃない。 

ここ数日は色んな作業が停滞気味。7、8割完成したらリセットされる。制作活動とは大体そういうものなのかもしれない。一度違うと感じたら、また思考のループへと戻っていく。元の形を思い出せないほど絡み合った途中成果の重みでがんじがらめとなり、息も継げないほどの深みへと沈んでいく。

「ループ」と言えば、最近手にしたドミニクチェン氏の「電脳のレギリオ」が面白かった。環世界に興味を持って色々調べてたら辿り着いた一冊で、デジタル時代の人と、取り巻く情報技術との関係性をテーマとして扱っている。

宗教の語源であるレリギオは「再び結ぶ」という意味。かつて人と社会を結びつける装置であった宗教の概念やその特権的儀式を通じた社会形成の機能に着目し、情報を軸にその概念を再構築することで、人と情報技術の新しい関係性を模索する。情報は「生命的な存在」となり、人の持つ感性を情報技術を通じて表現することが叶うならば、デジタルとリアルの世界は違和感なく融合する。ウィーナーが提唱したサイバネティクスの追求する世界が「機械の人間化」だとすれば、その目指す理想形なのかもしれない。

身体とは根源的なメディアという事実は改めて気づかされた。「今目の前に存在している世界、自分という感覚は、自分の身体とこれまで蓄積されてきた経験によって作られる」。機械に環世界があるとしたら、どんな風だろう。身体性の獲得は強いAIの議論で必ず出てくるテーマだが、AIが人体と同様の身体を持てば、自分という感覚が持てるのだろうか。自分と世界の距離感を認識できるなら、表現がなされるものに人と機械の区別はあるのだろうか。

情報の量的変化と質的変化、考える深度、媒介することと伝達すること。メディアをデザインする為の重要な要素だと思う。