データの物理的表現をData Physicalizationと呼ぶのはなく、何か情報を彫刻や壁画のようなに表現した全ての痕跡についてそう表現するらしい。現代的な意味でのデータ、定量的、ニュメリックルな情報を物理化する定義では、一般に認知されているとは言い難い。野心的な取り組みとしてinfo sculptureなど新たなジャンルとしてコンセプトメイクしているケースは存在している。
物理的表現が良いのは単に3次元で立体造形であることじゃない。メタバース上の立体物は脳的な興奮、何かすごいものを見たという知覚はあっても生理的反応はあまりない。もちろんハプティクスのような技術で擬似的に視覚以外の情報を取り入れることはできるのだが、それはそれとして目的を持って断片化された感覚でしかなく、それを体験する側はそのことを知っている。対して、例えばあまりに凶暴なものや未知のものに遭遇した時の血の気が引く感覚、一見普通に見えるがただ歩いているだけで近寄りが高いオーラを発する人、とてつもなく大きいと感じた時に途方に暮れる感覚。ある種の新しいものに対するセンソリーな体験に人間のコミュニケーションの本質が見えないか。それがこれまで人類を繁栄させてきた自己複製子の力ではないか。
それはデザインできるものなのか。その構成要素とは何だろう。第6感のようなものをすぐに思いつくが、それが脳の解釈によるものなのか感覚からくるものなのかによって大きくアプローチは異なる。可能ならば感覚、センサーから考えたい。多面的なファクトの集合体を作成し、少し引いた目で見たときにそのテクスチャに現れるものは何か言語化がし難い、異様で妖艶なものとして感性的に表眼につながる期待がある。