朝からメディア論のレクチャーに出席。メディアの捉え方、Knolling、アフォーダンス、発明ということについて。午後はフィールドワークで観察とコンセプトメイキング作業を行う。何も考えてなくてもジッと見続けること。ある種のセレンティビティがおこる瞬間がある。でもアイデアはいつも途切れそうなほど微細なもの。逃さない為には瞬間的に消えるので注意深く構えておく必要はある。
2022-11-8
渡邊恵太さんの「融けるデザイン」を読む。「優れたデザインとは何か?」という問いを考える場合、「デザインは誰のもの?」という疑問が湧くのは、人を軸に思考するパーソナリティを持つ故だろうか。デザインの古典的な定義に対して、情報とインテラクションを軸とした現代的な再定義を試みる興味深い一冊である。
本書はインターフェイスやインテラクションデザインといったデザインの新領域を論じる。まず、現象レイヤとして定義されている領域が個人的にはとても新鮮。UI/UXデザインが世界のインターネット化が進むにつれ、より重要になっている背景を腹落ちさせてくれる。しかも、それは単に操作性や判読性(可用性のような概念も含むと思われるが)といった割と表層的な、本質的でないとそれこそ無知の無知による誤解をしていたわけだが、それを「透明性」、「身体拡張」、そして重要ワードである「自己帰属感」の事例紹介を通じて分かりやすく解き明かしてくれる。テクノロジーと人の関係性に関心のある人な、とても魅力的な議論だと思うはずだ。
人間は動き続けている。だからそれを阻害しないデザインであることが一つの基軸になる。動くから(センサーとしての身体は)環境を感知できる。何かのデザインを考える時、例え動的なダイナミクスを持つ場合でもイメージは大体の場合、スナップショットであることが多い。
ギブソンの生態心理学から引用した肌理の議論も面白い。例えば画材の使い方やデッサンでの鉛筆の重ね塗り、コンピュータグラフィックスでもパターンを重ねることで肌理が生まれるが、そこに人はリアリティや自己帰属感を知覚することで物を認識するということなのか。
2015年と比較的新しい本なのだが、昨今のデジタル化の進展が早すぎるせいか、既に一般化した内容も見受けられる。「デザインとはインターフェイスを考えること」。インターネットの向こうにいる「人」。デザインの対象にもよるし、インターフェイスというより「The Internet」に対する人の関わり方かもしれない。情報と物質の境界線が消えたら、人とメディアの関係性もまた違和感のある境界線に思えないだろうか。
2022-10-23.26 瀬戸内芸術祭 秋
日曜から水曜にかけて瀬戸内芸術祭の秋期間に出掛ける。丁度旅行支援が始まったせいか、夏期間より人出が多い。レンタサイクルも行列で全く並ぶ気がしなかったので、さっさとバス周遊チケットを買って笠原地区に向かう。この島の作品は、島文化に着目した作品が多い。
特に印象に残ったのは古郡弘氏の『産屋から、殯屋から』、タイの作家DDMY STUDIOによる「遠くからの音」。似たテーマをモチーフとしているが、受け取る感覚の違いが面白い。古郡氏の作品はどこか不気味さを纏う近寄り難いオーラを発するが、その「島の空気感」に共感覚を覚えるのは日本人としての文化的背景からくるものだろうか。タイの若い作家チームもどこか懐かしいテーマを提示する。鈴虫の奏でるハーモニーを模したような、田舎の畦道で聞いた懐かしい音の記憶。アジア的な優しさが想起される。機械になることで害虫ではなくなった虫の音は、現代社会で失われたもの。この島にあるし、チェンマイにもあるのかもしれない。
月曜、瀬戸大橋を渡って犬島へ向かう。メイン会場的な位置付けの犬島精錬所美術館は最初の作品が面白い。緊張と不安からその答えがわかった瞬間の開放感。人間の生理的現象からくる不安感が個人的には作品理解と直結してるように思えた。家プロジェクトや植物園を見て、「犬」の個人プロジェクトもしっかり撮影して岡山の宿に戻る。
火曜、岡山芸術交流に出かける。池田亮司の作品が目当てだったのだが、なんと夜だけ(考えてみれば広場のビジュアル作品なので当たり前なのだが、、)なので断念。一部作品は岡山県天神山文化プラザで見られたので堪能する。スタイリッシュでカッコイイ作品。デジタルの先端的イメージが全面に押し出されていて、SF映画作品なんかで見るような動きが見事に表現されている。データソースはわからないが、それが作品にどう影響しているのだろうか。ビジュアルの動きから想起されるものは、何か具体的な意味を持つ必要があるのだろうか。そうなれば、作品として面白いものになるのだろうか。
水曜、帰り道に丸亀の現代美術館に立ち寄る。猪熊弦一郎や鈴木理策、特別展として展示していた今井俊介の作品を見物。うどんの中村と綿屋をハシゴして帰途に着く。
2022-10-16 制作
連休を跨いで取り組むこととなった、データビジュアライゼーションの制作作業が終わる。今回はSQLのデータ加工にハマり、SQLiteのクセやjarファイルでの不具合など、セッティング部分の躓き、ビュー作成により複雑肥大化したDBの紐解き作業に苦戦することなった。グーグル地図で道路に沿って円を描きながら緯度経度を取得するアイデアや、アナログだけど有用なデータ加工手法など現場の知恵が冴えるU氏には感謝しかない。Processingは簡単なものだったが、コーディング作業はまだまだで、焦りと無力感が一気に押し寄せる徒労の週末を過ごすことになった。
何よりの報酬は作品に対する一定の評価。目指す到達点には至らないが、モノクロ表現でのストリートマップもスタイリッシュ且つカッコイイ。制作途中にもバリエーション展開のアイデアがいくつか浮かんだので、これを1.0として作品をブラッシュアップしていきたい。『Papillon à Ginza』ととりあえず名付けよう。
データ可視性なのか、アート表現の完成度を目指すべきかについては、結局明確な回答が見出せていない。全てはその中間にあり、提示した創作物がデザインかアートという問い。そこに何か他者に行動変容を促すものであるならば、それはデザインに近い創作物かもしれない。
データビジュアライゼーションの場合、デザインであれアートであれ同じ「意味を含有する素材」に基づいている。画材や鉱物などの素材、現代ではコンピュータグラフィックス等のよる創作物は、素材を直感的に利用するが、その意味を吟味したりしないものだ。(例えば木材の表面や木目は気にするかもしれないが、それ自体の意味については考えることはない)データを単なる素材と見立てるケースはさておき、そのデータに含まれる事象からビジュアル表現を制作する試みは、概ねデータビジュアライゼーションの定義の範疇に収まる。その場合、一定の可読性は必要なのだろう。
DBのビジュアル表現はAPIと組み合わせると際限なく広がるポテンシャルがある。商用DBで作られたデータのビジュアル表現も面白そうだ。SAPやORACLEあたりで膨大に構築されているデータをアート表現すれば、何か見たことのない世界が見えたりしないだろうか。
2022-10-10 制作日:サービスデザイン
連休を使って開催されたサービスデザインの講義に出席する。ワークショップ形式でSociety5.0に関するサービスデザインのコンセプトを練る課題に3日間取り組む。紹介されたデザイン思考のフレームワークや進め方は特に目新しいわけではないが、実際に体感してみると、中々気づきの多い分野でもある。
デザイン思考はもはや一般化しつつあり、色んな文脈でデザインが扱われている。実際、この分野も研究歴はまだ浅くその領域は徐々に広がっているらしい。デザインの対象は実は様々で、単に何かの問題解決や仕組みをデザイン的に解決するということ以上の守備範囲がある。将来の方向性、社会的な潮流、人の心の動きでさえデザインの対象となってくる。
個人的な気づきとしては、特にクリエイティブクエスチョンを導き出す際のセンスってとても重要だと感じた。バズワードや既視感のある概念から新しいアイデアは生まれづらくて、よくあるものだけど、視座をわずかにずらすことで良いアイデアが生まれたりする。複雑に考えず、引き算で絞る思考って改めて苦手なんだなあと改めて認識。
サービスデザインは一度まとめておきたいなぁ。
2022-10-06 リサーチその他
イラスト制作の多忙につき、止まっていたオープンデータとAPIのリサーチ作業を再開する。オープンデータは欠損しているものもあったりで、使い勝手があまり良くない。民間APIはデータは充実しているが、提供が突然休止したりするので、サービス提供の根幹とするのは心もとない。
使い勝手が悪いこともあるが、データ表現の立場では不完全さもある種の魅力に映る。ただ欲しいデータが意外と少なく、長年データ整備を進めているはずの行政データがこうした状況であるのは至極残念。結局、用途が明らかになっていないからなのか。COVID19関連のデータは世界に溢れていて、データのバリエーションも様々提供される。多くの人が必要なデータはすぐに提供されるものだ。データの組み合わせで新しい価値を生み出すのではなく、明確な目的に合わせて、データ整備がなされる。
そういえば昨晩のデッサンが失敗に終わった(傑作、と思ったのに当たり前の問題点を指摘されヘコむという)ので、今日も作業をしなければ。描く行為が神経を昂らせるらしく眠れなかったせいで、今日は曇天。
2022-09-30 制作日
朝、ちょっとした用事を済ませて仕掛かり中の制作を再開する。イラストは概ね完成していたので、文字入れとタイトル、それから塗りの甘い部分を埋める作業を行う。午後には3週間にわたって作業をしてきた作品がなんとか完成させた。
今回の制作では 情報整理に時間を取られハマってしまった。つい深くリサーチをしてしまう。必要な情報を簡潔に軽やかにまとめるのもデザインの要点で、つい余計な情報まで足を突っ込んでしまうのは年を重ねたことによるムダな作法なのかもしれない。
ごちゃごちゃっとしたイラストと文字も組み合わせも悪くない。イラストだけだと観る要素が中心となり、記憶のどこかに置かれてしまう。読むことにより言語を介して記憶することで、情報がラベルのついたストックとして保管される。それは自分と鑑賞する者によるそれぞれ違う視点からの記録作業としてとても必要なことなのだろう。
PCを使って資料を印刷してファイリングする。ふと、ブラウザを操作すると円楽さんが亡くなった記事が目に入ってきた。笑点は好きな番組で楽太郎の頃からシンボル的な存在だったあのブラックジョークが聞けなくなるのは寂しい。ここのとこ、要人の訃報が続き、そうでなくてもその手の情報がなぜかアンテナに引っかかる。世が陰鬱な情報を流しているのか、それとも自身がそこに惹きつけられているのか。
2022-09-26 自宅作業
朝から制作意欲がムクムクと湧き起こってしまったので、仕事をさておき、すっかりハマってるイラスト制作に励む。絵と構成のエスキースを一通り描き切って着色に入る。前回はサインペンの墨を滲ませて失敗するという致命的な失敗を犯したこともあり色鉛筆をチョイスして何本か色出しをしたけれど何ともテイストが合わない。サインペンのビビットなタッチで昔の木版的な色感を出したいんだよなぁと。とりあえず墨は危険なので鉛筆の下書きをままに着彩作業を淡々と進める。
遠い記憶を掘り起こす行為自体は時々、無意識的にやっているけれど、取り出して意識下に残そうとするならば、それは整理され加工された幻想に違いない。見たくないものにはそれこそ無意識的に蓋をし無意識の奥深くに埋めてしまう。記憶は整理され、創られるもの。もし本当に記憶の顕在化をしたいならば、その闇に光をあて持てる体力を余すことなく使って刮目しなければ。
2022-09-19 夜作業
MAUの制作作業の下準備でオープンデータを調査する。最近はDXやらデジタル化やらですっかり耳にしなくなった言葉。世のAPI利用はどんどん利用用途が広範且つ深化しているというのに。とりあえず行政関連、ネット系サービス、プラットフォームのオープンAPIを中心に対象範囲を絞り込んで調査を進めることにする。コロナで脚光を浴びたデータトラッキング・ダッシュボードの応用でも考えて見ようか。どちらかというと課題発掘にフォーカスを当てた、データビジュアライゼーションを考えたい。
デザイン系の課題がやや停滞気味。〆切が明確にない時、完成の目処をどこでつけようか。自身の納得感との折り合いがなかなかつかない日々が続いている。
2022-09-14 夜作業
午前中、MAUの課題を作成。今日中に終わらせるぞと軽快に水彩ペンでの作業を進める。焦っていたのが裏目に出てしまったのか、濃い色を滲ませ作品を台無しに。2日分の作業が吹っ飛んでしまい、徒労感に打ちのめされる。デザインの過程で配色のマズさも気になっていたので、やり直すきっかけだと自分に言い聞かせやり場のない感情を諌めようとする。焦るばかりで時間が過ぎていく取り残された感覚。