ついにAPIの作品が完成。多少妥協したものの、現時点ではベストな出来だと思う。
技術面はともかく、見せ方工夫は思いのほか上手くいった。決して誤魔化しではない。見える為の技術に秀でているだけ。
ついにAPIの作品が完成。多少妥協したものの、現時点ではベストな出来だと思う。
技術面はともかく、見せ方工夫は思いのほか上手くいった。決して誤魔化しではない。見える為の技術に秀でているだけ。
朝早めにアトリエに到着して制作の続きに入る。100均で買い足した材料を使って最終調整するが、材料費をケチったことが裏目に出てアクリル板の長さが足りないことに気づく。コンセプトの説明に終始するよう腹を固める。評価はほぼ想定通りの結果となった。他の作品の展示の工夫や見せ方など参考になるものもあり、気づきの多い午後を過ごす。
夕方、上北沢にある旧知の知人宅を向かいゆったりとした時間を過ごす。取り巻く環境や風体はそれぞれ変化したものの、会話の端々から滲み出る言霊はほとんど変わらないものだ。ある程度の年齢になったら人はそのまま歳を重ねる。
朝から吉祥寺に向かいオモチャ制作に取り掛かる。水がお題ということで「カモリウム」、鴨が水に潜った時に見える視界を再現するようなプラネタリウムを考案。
実際試作してみると、想定以上に難易度が高いことが分かる。天井にプロジェクターで水面を表現するインスタレーションなのだが、プロジェクターの画角による光の拡散具合が単焦点だと思った以上に狭い。あとポイントとして、間に挟むアクリル版のフィルターとプロジェクターレンズとの距離、透過させる素材の選び方、水による光のデフューズなど、作品成否に関わる課題が次々と発覚しパニックになる。精密な設計がないと先に進めなさそうだが、〆切までには時間も足りない。
素材選択が難しい。一般に売られている青いセロファンは意外と色が濃くて、光の拡散具合が減衰してしまう。色がなくても水の波紋や光の動きで十分水は感じられている。
色で言うと隣の方から色付きガラスをお借りして使ってみると中々調子良い光になったので合わせ技で使うことにする。鴨は紫外線を色覚できるので、僅かな色でも輝いて見えるに違いない。時々光の中に現れる暖色の光が陽の光を想起させる。プリズムも買っておけばよかったと後悔。
設置環境も課題だった。投射面に模様があったので、映像をそれに合わせる工夫も事前に知っておけばできたのかも。ただ大きく広がる面白さも捨て難いので、ここはひょっとしたらフィルターがわの表現を簡素化して水の形を整理してデザインすることで違った表現ができた部分かもしれない。
とにかく、時間いっぱい使い切って夕方にはヘトヘトになって帰途についた。
朝からメディア論のレクチャーに出席。メディアの捉え方、Knolling、アフォーダンス、発明ということについて。午後はフィールドワークで観察とコンセプトメイキング作業を行う。何も考えてなくてもジッと見続けること。ある種のセレンティビティがおこる瞬間がある。でもアイデアはいつも途切れそうなほど微細なもの。逃さない為には瞬間的に消えるので注意深く構えておく必要はある。
連休を跨いで取り組むこととなった、データビジュアライゼーションの制作作業が終わる。今回はSQLのデータ加工にハマり、SQLiteのクセやjarファイルでの不具合など、セッティング部分の躓き、ビュー作成により複雑肥大化したDBの紐解き作業に苦戦することなった。グーグル地図で道路に沿って円を描きながら緯度経度を取得するアイデアや、アナログだけど有用なデータ加工手法など現場の知恵が冴えるU氏には感謝しかない。Processingは簡単なものだったが、コーディング作業はまだまだで、焦りと無力感が一気に押し寄せる徒労の週末を過ごすことになった。
何よりの報酬は作品に対する一定の評価。目指す到達点には至らないが、モノクロ表現でのストリートマップもスタイリッシュ且つカッコイイ。制作途中にもバリエーション展開のアイデアがいくつか浮かんだので、これを1.0として作品をブラッシュアップしていきたい。『Papillon à Ginza』ととりあえず名付けよう。
データ可視性なのか、アート表現の完成度を目指すべきかについては、結局明確な回答が見出せていない。全てはその中間にあり、提示した創作物がデザインかアートという問い。そこに何か他者に行動変容を促すものであるならば、それはデザインに近い創作物かもしれない。
データビジュアライゼーションの場合、デザインであれアートであれ同じ「意味を含有する素材」に基づいている。画材や鉱物などの素材、現代ではコンピュータグラフィックス等のよる創作物は、素材を直感的に利用するが、その意味を吟味したりしないものだ。(例えば木材の表面や木目は気にするかもしれないが、それ自体の意味については考えることはない)データを単なる素材と見立てるケースはさておき、そのデータに含まれる事象からビジュアル表現を制作する試みは、概ねデータビジュアライゼーションの定義の範疇に収まる。その場合、一定の可読性は必要なのだろう。
DBのビジュアル表現はAPIと組み合わせると際限なく広がるポテンシャルがある。商用DBで作られたデータのビジュアル表現も面白そうだ。SAPやORACLEあたりで膨大に構築されているデータをアート表現すれば、何か見たことのない世界が見えたりしないだろうか。
連休を使って開催されたサービスデザインの講義に出席する。ワークショップ形式でSociety5.0に関するサービスデザインのコンセプトを練る課題に3日間取り組む。紹介されたデザイン思考のフレームワークや進め方は特に目新しいわけではないが、実際に体感してみると、中々気づきの多い分野でもある。
デザイン思考はもはや一般化しつつあり、色んな文脈でデザインが扱われている。実際、この分野も研究歴はまだ浅くその領域は徐々に広がっているらしい。デザインの対象は実は様々で、単に何かの問題解決や仕組みをデザイン的に解決するということ以上の守備範囲がある。将来の方向性、社会的な潮流、人の心の動きでさえデザインの対象となってくる。
個人的な気づきとしては、特にクリエイティブクエスチョンを導き出す際のセンスってとても重要だと感じた。バズワードや既視感のある概念から新しいアイデアは生まれづらくて、よくあるものだけど、視座をわずかにずらすことで良いアイデアが生まれたりする。複雑に考えず、引き算で絞る思考って改めて苦手なんだなあと改めて認識。
サービスデザインは一度まとめておきたいなぁ。
イラスト制作の多忙につき、止まっていたオープンデータとAPIのリサーチ作業を再開する。オープンデータは欠損しているものもあったりで、使い勝手があまり良くない。民間APIはデータは充実しているが、提供が突然休止したりするので、サービス提供の根幹とするのは心もとない。
使い勝手が悪いこともあるが、データ表現の立場では不完全さもある種の魅力に映る。ただ欲しいデータが意外と少なく、長年データ整備を進めているはずの行政データがこうした状況であるのは至極残念。結局、用途が明らかになっていないからなのか。COVID19関連のデータは世界に溢れていて、データのバリエーションも様々提供される。多くの人が必要なデータはすぐに提供されるものだ。データの組み合わせで新しい価値を生み出すのではなく、明確な目的に合わせて、データ整備がなされる。
そういえば昨晩のデッサンが失敗に終わった(傑作、と思ったのに当たり前の問題点を指摘されヘコむという)ので、今日も作業をしなければ。描く行為が神経を昂らせるらしく眠れなかったせいで、今日は曇天。
朝、ちょっとした用事を済ませて仕掛かり中の制作を再開する。イラストは概ね完成していたので、文字入れとタイトル、それから塗りの甘い部分を埋める作業を行う。午後には3週間にわたって作業をしてきた作品がなんとか完成させた。
今回の制作では 情報整理に時間を取られハマってしまった。つい深くリサーチをしてしまう。必要な情報を簡潔に軽やかにまとめるのもデザインの要点で、つい余計な情報まで足を突っ込んでしまうのは年を重ねたことによるムダな作法なのかもしれない。
ごちゃごちゃっとしたイラストと文字も組み合わせも悪くない。イラストだけだと観る要素が中心となり、記憶のどこかに置かれてしまう。読むことにより言語を介して記憶することで、情報がラベルのついたストックとして保管される。それは自分と鑑賞する者によるそれぞれ違う視点からの記録作業としてとても必要なことなのだろう。
PCを使って資料を印刷してファイリングする。ふと、ブラウザを操作すると円楽さんが亡くなった記事が目に入ってきた。笑点は好きな番組で楽太郎の頃からシンボル的な存在だったあのブラックジョークが聞けなくなるのは寂しい。ここのとこ、要人の訃報が続き、そうでなくてもその手の情報がなぜかアンテナに引っかかる。世が陰鬱な情報を流しているのか、それとも自身がそこに惹きつけられているのか。
朝から制作意欲がムクムクと湧き起こってしまったので、仕事をさておき、すっかりハマってるイラスト制作に励む。絵と構成のエスキースを一通り描き切って着色に入る。前回はサインペンの墨を滲ませて失敗するという致命的な失敗を犯したこともあり色鉛筆をチョイスして何本か色出しをしたけれど何ともテイストが合わない。サインペンのビビットなタッチで昔の木版的な色感を出したいんだよなぁと。とりあえず墨は危険なので鉛筆の下書きをままに着彩作業を淡々と進める。
遠い記憶を掘り起こす行為自体は時々、無意識的にやっているけれど、取り出して意識下に残そうとするならば、それは整理され加工された幻想に違いない。見たくないものにはそれこそ無意識的に蓋をし無意識の奥深くに埋めてしまう。記憶は整理され、創られるもの。もし本当に記憶の顕在化をしたいならば、その闇に光をあて持てる体力を余すことなく使って刮目しなければ。
MAUの制作作業の下準備でオープンデータを調査する。最近はDXやらデジタル化やらですっかり耳にしなくなった言葉。世のAPI利用はどんどん利用用途が広範且つ深化しているというのに。とりあえず行政関連、ネット系サービス、プラットフォームのオープンAPIを中心に対象範囲を絞り込んで調査を進めることにする。コロナで脚光を浴びたデータトラッキング・ダッシュボードの応用でも考えて見ようか。どちらかというと課題発掘にフォーカスを当てた、データビジュアライゼーションを考えたい。
デザイン系の課題がやや停滞気味。〆切が明確にない時、完成の目処をどこでつけようか。自身の納得感との折り合いがなかなかつかない日々が続いている。